二度目の死と永遠の命/女の子が死ぬ話 柳本 光晴

女の子が死ぬ話 (アクションコミックス(月刊アクション))

昔観た映画で、「半落ち」という作品があった。
なにぶん昔のことなので曖昧なところもあるが、おぼろげな記憶に寄れば、老夫婦の夫が妻を殺してしまうといった内容だったと思う。

なぜ彼はそんなことをしたのかを解き明かすというのが物語の本筋なのだが、結論から言ってしまえば、認知症で自我を失っていく妻を不憫に思い安楽死させてしまった、というのが真相だった。

『自我』という言葉には不思議な響きがある。”自”分と、”我”。同じ意味の漢字を二つ繋げることで、とても強い口調で、『これこそが自分であり、我なのだ』という宣言をしているようにも感じる。

有名な言葉に、「人は二度死ぬのだ」というものがある。007を引用するまでもない余りにも有名すぎるこの格言によれば、
一度目の死とは、肉体的、物理的な死。そして二度目は、人々に忘れ去られることによる、精神的な死。永遠の命とは、二度目の死の前にあるのだという。 

今回紹介する漫画、「女の子が死ぬ話」はそんな”死”について真正面から向き合った漫画だ。
タイトルからもわかるように、この物語は、女の子が死ぬ話である。言葉にしてしまえば一言で、手垢に塗れたありふれたテーマだろう。だが、一言で切り捨ててしまうには多すぎるほどの感情が、この漫画には含まれている。 

死に行く少女、ヒロインの名前は遥という。遥は強く、そして弱い、普通の女の子だ。死を前にしても気丈に振る舞い(周りからそう見られる様に努力しているのだが)、それでもやはり悩み、時には人知れず涙し、そして死んでいく。
遥が心に決めていることが一つある。たびたび遥によって語られる、彼女の小さな希望とは、「きれいに死にたい」というものだ。 
病に倒れやせ細り、そんな姿を友人たちには決して見られたくないと、誰からの面会も拒否する。綺麗な思い出のまま、永遠に友人の中に残りたいと、そんなことだけを希望に遥は生きるのだ。それはあまりにも哀しく、切ない。 

最も印象に残ったシーンが一つある。
親友と海に遊びに行った遥は、海岸でおそろいの貝殻を拾い、親友と交換する。
後に遥が語るのだが、それは「呪いをかけた」のだと言う。「親友は単純だから、きっと一生大事に貝殻を持ち続けるわ」と、そんなことを幸せそうに微笑みながら、言うのだ。
 

遥の気持ちの本質を理解することは難しい。私は余命宣告を受けたこともないどころか、入院をしたことすらないのだから。それでも辛うじて、遥の気持ちを推し測ることは出来る。
彼女は恐らく、永遠に生きようとしたのだ。肉体的な死は避けられないならば、せめて大切な人の中に思い出として残ることで。たった一つだけ残された遥の望み。彼女があまりに短い人生を生きた意味が、そこにはある。 

ささやかな希望を胸に、遥が生き、そして死んでいく。それがこの物語だ。 

私はこの物語を永遠に忘れないで居たいと思う。そうすれば、死んでしまった少女、遥は、私の中にも永遠に生きつづける。 

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人が物語を読むのは、人生が一度しかないことへの反逆だ。 そんな言葉を言い訳にして、積み本が増えていく毎日。 Twitter:pooohlzwg