ちいさい百合みぃつけた

百合のあふれるこの世界 / ちいさい百合みぃつけた 綾奈ゆにこ

照れなのか何なのか、十代の頃は女の子っぽいことをする自分というものが受け入れがたかった。
化粧したり、髪を伸ばしたり、可愛い服を着たり。

出来るようになったのは多分、折れたのだと思う。
世間体とか年齢に。

もう一度生まれ変わったら男になりたいか女になりたいか。
そんな質問は雑談的によく言われることだが、どちらと答えてもそこにはある種のファンタジーが含まれている。わたしたちは通常、(一部の例外を除いて)片側の性しか体験することができないからだ。自分の知らないもう一つの性については、少なからず理想が含まれる。

だがあえてそれにわたしが答えるならば、わたしは間違いなく女になりたいと宣言するだろう。
理由はいくつもあるし、同意を得ようとも思っていないが、その中のひとつに上げられるのが、百合の世界の中に存在できるから、というものだ。

百合男子という言葉がある。倉田嘘の、そのものずばり『百合男子』という漫画によって認知されるようになった人種のことだが、その漫画の中に「我思う、故に百合あり。……だが、そこに我、必要なし」というセリフが登場してくる。
百合は女子間にのみ成立するものであって、そこに男である我は存在を許されない。これはそんな哀愁をこめた言葉なのだ。

そしてさらに皮肉なことに、読んで字の如く、百合は、百合好きの心の中に常に生まれ続けるものだ。街中で見つけた仲睦まじげな女子を眺めながら、妄想が膨らんでしまうといった経験は、百合好きならば誰もが思い当たることだと思う。

そんな「我思う百合」を体現したものが、綾奈ゆにこの『ちいさい百合みぃつけた』だ。

今作は、月刊ニュータイプで連載されていた同名の百合コラムを書籍化したものである。毎回ひとつづつ数ページ、著者が日常で見つけたちいさな百合エピソードを書き綴る、といった趣旨となっている。

どこにでもある日常の景色から、日々発見した百合を紹介する。
そんな今作の性質上、そこに収められたエピソードの大半は萌語りであり、また妄想でもある。

わたしは今まで他人の萌語りを目にしたことは殆ど無かったが、それはとても新鮮な感覚だった。

心がむず痒くなるような、それでいて思わず同意してしまうような。痛さと恥ずかしさ(褒め言葉である)で読むのをやめたくなるのに、それでも読み進めてしまう。そんな不思議な気持ちを味わうことができる。

例えばそれは二人並んで縁石に腰掛ける女子高生であったり、お花見をする女子大生であったり、服屋から届くDMであったり。あるいは一人で過ごすビジネスホテルの夜であったり。
極端な話、女子が二人居れば、そこには百合が発生する。(……もしかしたら一人もいなくても成立するのかもしれない)

そんな何気ない風景から百合を見出す著者の百合指数には脱帽である。

『ちいさい百合みぃつけた』は著者の萌語りであり妄想の産物であり、そしてある意味で、三次百合好きのための教科書なのだ。

世の百合好きの方々には、是非今作を読んで、もっと日常に目を向けてみて欲しい。そこにはきっとちいさな百合が溢れている。

また今作には、志村貴子、天野しゅにんたがゲスト寄稿もしている。そちらのファンの方は是非手にとってみて欲しい。
さらにイラストレーションを担当している、『堀さんと宮村くん』で御馴染みのHEROが書き下ろし百合漫画を載せている。こちらのファンの方は百合に馴染みが浅い方も多いかもしれないが、だからこそ新しい世界に触れてみるのも良いかもしれない。

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人が物語を読むのは、人生が一度しかないことへの反逆だ。 そんな言葉を言い訳にして、積み本が増えていく毎日。 Twitter:pooohlzwg