少女キネマ 或は暴想王と屋根裏姫の物語 (単行本)

世界は全て恋である/少女キネマ 一肇

この世に奇跡と呼ばれるものが起きたとき、
それが奇跡だと知れるのはずっとずっと後のことだと思うのです。

世界の歴史は恋愛の歴史でもある。

六千年前、古代メソポタミアの壁画に書かれていたのは恋愛詩であったという。
万葉集に収められているのは、そのほとんどが恋の歌である。

現在世に出る物語のうち、その半数以上は恋愛を扱ったものであろう。
少しでも恋愛要素を含むものにまで裾野を広げれば、恐らく九割はそうなのではないかと思う。

ひとは小説、漫画、そして映画の世界に恋愛を描き続けてきた。
これほどまでに恋が世に溢れている訳は、きっと人間は本質的に恋をする生き物だからなのだろう。

中学二年生のときだったと思う。
それはわたしが読書を趣味とし、こうして愚にも付かない文章を書くようになった、そのきっかけを作った女の子の話だ。

そのころのわたしは、それまで所属していた部活を勢いだけで辞めてしまい、ハート様ばりに無気力な日々を送っていた。
当時のわたしはと言えば、絵に描いたようなグレ方をした結果、夜な夜な繁華街を徘徊したり、無軌道な若者を体言するかのようにゲームセンターに入り浸ったりしていた。

ある日、いつものように格闘ゲームをプレイしていると、乱入でわたしに挑戦してくるプレイヤーがいた。そしてわたしはすぐにボッコボコに負けた。それはもう、完膚なきまでに。
「う、うちのシマではノーカンだから」
震え声でそんなことを言いながら、いったいどんな奴が相手だったのかを確かめようと筐体の裏へと回ったわたしが見たのが、果たして彼女だった。

長い黒髪に銀縁の眼鏡、その奥に隠された大きな瞳。多分高校生だったのだと思う、少し大人びた表情。どこか知らない学校の制服に身を包んだ彼女は、わたしを見るとニコリと笑った。
「きみ、いつもこの店にいるけど、ヒマなの?」
それがわたしと彼女との出会いだった。

なにぶん昔のことなので記憶が曖昧だが、彼女の名前はユキだったかユリだったか、そのどちらかだったと思う。
それからは毎日のように、彼女とは顔を合わせた。ゲームセンターに行けば必ず彼女はいたからだ。
わたしはギルティをやっていて、彼女はいつもポップンをやっていた。特に何をするわけでも親しく話すわけでもなく、ただなんとなくお互いを認識しているような、そんな距離感。目が合えば挨拶をし、たまにタイミングがあればたわいない会話で時間を潰すような、そんな空気が心地よかったのを覚えている。

彼女はいわゆるオタクだった。小説も漫画も、アニメでもゲームでも、とにかくフィクションが好きらしかった。
わたしはいつしか、彼女から本を借りるようになった。きっと本の話をしているときに、彼女が一番笑っていてくれることに気付いたからだと思う。

彼女は読んだ漫画や小説の感想を、自作のウェブサイトに公開していた(当時まだ、ブログという言葉は無かった)。
それを教えてもらったわたしは、夢中になってそれを読んだ。少しでも彼女の気持ちに近づきたいと、そんなふうに思っていたのだろう。

けれど、そうして半年ほどが過ぎた頃、唐突に彼女はゲーセンに現れなくなった。何があったのかは知らない。そもそもわたしは彼女のことを、ほとんど何も知らないのだった。
そうして彼女がいなくなって初めて、わたしは彼女に恋をしていたことに気づいたのだった。

それまで頻繁に更新されていたサイトも、徐々に更新がすくなくなり、そしてそのうちにサイト自体が無くなっていた。
ディスプレイに表示された404エラーを見ながら、わたしは自分自身で読書感想文を書くことを決意したのだった。

わたしの部屋には、最後に彼女から借りた本が未だに残っている。もう何度も読み返したその本について感想を書くことが、今のわたしにはまだ出来ないでいる。

こんな懐かしいことを不意に思い出したのは、少女キネマという作品を読んだからだ。
少女キネマは、主人公の貧乏大学生が、ある日出会った少女や、個性的な友人たちに影響されて映画の世界へと足を踏み入れていく、そんな物語だ。

この物語の登場人物たちは、みな恋に生き、芸術に生きている。後先を考えないその真っ直ぐさこそが、この作品の魅力であろう。
そうしてそのエネルギー(作中の言葉を借りるならば「暴想」)に引っ張られるように一気に読み進め、読み終わると同時にこの文章を書き始めていた。

少女キネマは、恋に、そして芸術に生きる若者達の激情を、疾走感をもって描いた、一級の青春作品だ。
それは登場人物たちの青春の爆発に巻き込まれるように、読みながら否応なく、「創作とはなんなのか」、「恋をするとはどういうことなのか」、そんなことを考えさせられてしまう力がこの作品にはある。
あの日心に抱いたもの、いつしか忘れてしまっていたもの。創作欲とでも呼ぶような、そんな気持ちを思い起こさせてくれるのだ。

もし貴方が少しでも創作に関わっている、もしくは創作の世界へと足を踏み入れたいと思っているのであれば、是非この作品を読んで頂きたいと思う。

ちなみに、このエントリーで書いた思い出話はその全てがフィクションであり、実際のところは「ああ、年上で眼鏡な文学少女と知り合いになって、映画みたいな青春を送りたいなぁ」などと妄想しながらゲーセンに通い詰める日々だったことを合わせて記しておく。

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人が物語を読むのは、人生が一度しかないことへの反逆だ。 そんな言葉を言い訳にして、積み本が増えていく毎日。 Twitter:pooohlzwg