ロートケプシェン、こっちにおいで (創元推理文庫)

魔法使いになるための方法 / ロートケプシェン、こっちにおいで 相沢沙呼

”あたしは、驚いて肩越しに、その声が聞こえた方を見る。

魔法なんて、あるのかなぁ。夢見がちな乙女だった頃、あなたがこの歩道橋で呟いた言葉。
ねぇ、ユカ。

魔法って、本当にあるみたい。”

わたしはお酒が好きでバーに飲みに行く機会も多いのだが、バーでお酒を飲むことと手品を見ることは似ている、という話を以前に聞いたことがある。
バーで気持ちよくお酒を楽しむためには、最低限のマナーや社交力がなにより必要とされる。またある程度のお酒の知識があればより良いお酒の席を得ることができるだろう。そんな風に、最大限バーを楽しむためには、心得ておかなければならないことも多い。

それと同じことが、手品を見るときにも言える。ご存知のように手品は英語でマジックというのだが、それは文字通り『魔法』である。魔法を楽しむためには、その魔法を見る側にもいくつかの心構えが必要とされる。それは例えばカードに対する少しの知識であり、些細な違和感を見逃さないための注意力であり、そしてなにより、純粋に驚きを楽しもうとする気持ちが必要なのだ。
この言葉を言っていたのは、前田知洋。”奇跡の指先”とも称される世界的クロースアップマジシャンであり、わたしが最も尊敬する魔法使いのひとりである。

ひとが抱く様々な感情のうちでもっとも尊いものが”驚き”だという話は以前にもしたかと思う。
楽しみや悲しみ、また怒りなど、他の感情は──自作自演のようにして──自分からそれを得ようとすることが出来る。しかし驚きは他のどんな感情とも違い、常に外部から与えられるしかないものである。驚きは自らを外部に開き、他者との関係性のなかでしか得ることができないものなのだ。

感動することを文字通りに捉えるのならば、それは”感情が動くこと”である。その感情の動きの絶対値は、驚きによって大きく揺さぶられる。
ある意味で、感動は常に驚きと共にやってくるのだ。

そうした”感動”を最も洗練された形でわたしたちに与えてくれるものが、手品であり、また小説──その中でも特にミステリというジャンル──であろう。
そういった意味で言えば、その二つが融合した相沢沙呼の『ロートケプシェン、こっちにおいで』がわたしたちに純粋な驚きを与えてくれるのは当然だとも言える。

『ロートケプシェン、こっちにおいで』は、相沢沙呼のデビュー作である『午前零時のサンドリヨン』である酉乃シリーズの二作目にあたる小説である。
シリーズにおける探偵役はマジックが得意な女子高生・酉乃初。酉乃シリーズは彼女が、学園で起こる不思議な出来事たちをマジックを巧みに絡めながら解決していく、日常の謎と呼ばれるジャンルの青春ミステリだ。

マジックをテーマにしていることもあって、今作における謎解きのシーンの鮮やかさはまるでマジックの種明かしを見ているかのような快感がある(作中でマジックの種明かしがされることは基本的に無いが)。答えを知っていればごくごく単純なことたちが、しかしそれが上手く隠されて気付かないようにされている様は、まさしくミステリであり、マジック的でもある。
今作で取り上げられる様々なマジックも、現実に実現可能なものばかりである。そういった不思議な現象を、文字だけで活き活きと描いているあたり、作者の筆力の高さが窺える。

その筆力の高さから描かれる構成の華麗さには舌を巻くばかりだ。これはマジックを嗜み、観客に驚きを与え楽しませることとは何かを熟知している作者だからこそ描けたものであろう。

しかしそうした筆力の高さを、作者は何も鮮やかな謎解きや華麗なるマジック描写だけに使っているわけではない。
むしろ今作における主題は高校生の登場人物たちが、学校という狭い世界の中で様々なことに悩み成長していくその過程にある。
相沢沙呼の他の著作、『雨が降る日は学校に行かない』や『ココロ・ファインダ』でもそうであったように、少年少女の揺れる心を瑞々しく描き出す手法こそが、相沢沙呼のもっとも特筆すべき長所であり、それはもちろん今作においても顕著である。

今作を貫くひとつの事件は、青春時代誰もが遭遇した(あるいはその可能性のあった)悩みであり、とうの昔に学校を卒業してしまったわたしたちに、当時の記憶を呼び覚まさせてくれる。
そしてその結末は、あのころのわたしたちには難しかった、ひとを信じることの大切さを教えてくれるのだ。
これはココロ・ファインダの記事にも書いたことだが、やはり相沢沙呼の書く物語は、現に今悩んでいるであろう若い人たちにこそ読んで欲しいと、そんなことを思わせてくれる作品なのである。

若者たちの揺れる心情を描写し、マジックのように華麗に世界を切り取りながら、ミステリの純粋な驚きでわたしたちを楽しませてくれる。その三要素が過不足無く揃った今作は、間違いなく一級の青春ミステリ小説なのだ。

余談だが、冒頭で述べた”楽しむためのスキル”は小説というジャンル、もちろん本作においてもあてはまる。本作は作中に登場するマジックについての知識があれば、物語をより楽しむことが出来るように書かれているように思う。調理実習室の失われた親指の幽霊など、きっとアレのことだろうという予想ができるように書かれているが、作中でそれに触れられることは一切無い。今作の魅力を余すところ無く楽しむためには、ある程度の手品に関する知識が必要なのだ。

もし今作を読んでマジックの世界に興味を抱いたならば、是非一度その華麗なる世界に触れてみて欲しい。
わたしもまた、相沢沙呼のデビュー作であり今作の前作である午前零時のサンドリヨンを読みマジックを始めた人間のひとりなのだが、Twitter上で相沢沙呼本人に教えてもらったカードマジックの入門書があるので、そちらも合わせてここで紹介したい。

願わくば本作を読み、華麗なる魔法の世界に興味を抱くひとが一人でも増えればよいと、わたしは心からそう願っている。

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人が物語を読むのは、人生が一度しかないことへの反逆だ。 そんな言葉を言い訳にして、積み本が増えていく毎日。 Twitter:pooohlzwg