リカーシブル (新潮文庫)

不安のあとに現る恐怖/リカーシブル 米澤穂信

8月も半ばに差し迫り、いまやお盆真っ只中。連日蒸し暑い日が続き、ニュースでも最高気温を更新したという情報が毎日のように入ってくる。まさしく夏真っ盛りといったところだ。

そんな寝苦しい夏の夜を過ごす知恵といえば、鳥肌が立つようなホラー作品を鑑賞することであろう。その中でも海外作品ではなく、静かな不気味さを特徴とするジャパニーズホラー作品は涼をとるためには最適なジャンルであろう。

考えてみれば元々お盆とは祖先の霊が家族のもとへと会いに来る日。日本の夏とホラー作品ほど相性の良いものは無いといえるかもしれない。

今回紹介する『リカーシブル』は、そんな真夏の日本にぴったりなジャパニーズホラー小説であろう。

本書の作者は米澤穂信。

2012年には『氷菓』に連なる古典部シリーズがアニメ化。昨年は短編集『満願』で第27回山本周五郎賞受賞、第151回直木三十五賞候補にも選ばれた、今最も勢いに乗っているミステリ作家の一人である。
 

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ジャパニーズホラー&ミステリー

とはいっても、本書はジャンルでいえば厳密にはホラー作品ではない。米澤穂信が書くのだから、当然そのジャンルはミステリである。不可解な謎があらわれ、それを探偵役が解き明かすという構造はまさしくミステリ作品である。

だがわたしはあえて、本書はジャパニーズホラー小説であると主張したい。

本書の舞台はとある寂れた地方都市。

主人公である中学生の女の子ハルカは、父親の失踪をキッカケに弟と共に母親の故郷であるその町に引っ越してきた。不穏な空気が漂うそんな片田舎の町で、ハルカの周りでは不思議な出来事が起こり始める。
といった内容となっている。

うら寂しい町の空気や、町だけに伝わる民間伝承。大人たちの陰謀と、閉鎖的な村社会。こうした特長を挙げてみれば、それはまさしくジャパニーズホラーの要素である。

八墓村など金田一耕助シリーズでおなじみの、横溝正史作品のような世界観だといえば分かりやすいかもしれない。

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不安と恐怖の違い

よく似た意味の日本語に、“不安”と“恐怖”がある。どちらも恐ろしい心境を表す言葉だが、そこにはいくつかの明確な違いがある。

その最も大きな違いは、“恐怖”は特定の対象に向けられる感情であるが、“不安”は対象をとらない、という点にある。

何か得体の知れない不気味さや不穏な空気に対して抱く感情は、不安感である。そしてその正体が明らかにされたとき、それは恐怖に変わる。

薄気味悪い雰囲気が色濃い、寂れた田舎町。そこに住む、表面上はにこやかだがどこか閉鎖的な人々と、彼らが抱く底知れぬ陰謀。そこで起こる不気味で不可思議な出来事。今なお根強く残る風習への信仰。

そんな特長をもつ本書の、全体を通して漂うのは不気味な静けさである。

自らのあずかり知らぬところでなにか恐ろしい出来事が静かに進行しているような、そんな予感だけが与えられる様は、まさしくジャパニーズホラー的だといえる。

不安のあとに訪れる恐怖

そんな薄気味悪い雰囲気を前面に押し出し、不安感を存分に書ききっているからこそ、解決編のカタルシスは一入である。

全ての謎が綺麗に一つの線につながるその結末は、これまでミステリを書き続けてきた作者の力量によるものだろう。

そしてその薄気味の悪さ、“不安”の正体が明らかにされたとき、それは“恐怖”に変わる。謎が暴かれた後に表れるのは、鳥肌がたつほどの恐怖である。

本書を結末まで読み終わり、そのタイトルを改めて見返したときに生じるおぞましさをぜひ体感してみてほしい。

まるで背筋を毛虫が這い回っているかのような、薄ら寒さを感じることができるはずだ。

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人が物語を読むのは、人生が一度しかないことへの反逆だ。 そんな言葉を言い訳にして、積み本が増えていく毎日。 Twitter:pooohlzwg