小学五年生の夏は特別だった。五人はみな、そう思っている。
けれど高校一年生の夏もまた、特別だ
人間長く生きていれば、忘れられない過去というものを誰しもひとつは持っていることだろう。
それが輝かしい出来事であれ、後悔を伴う苦いものであれ、あの日にもう一度戻れたら、と思うこともあるはずだ。
だが、相対性理論を紐解くまでもなく、ひとは過去に戻ることは出来ない。もしかしたら遠い未来にはタイムマシンが実用化されていて、そんなことも可能になるのかもしれないが、少なくともわたしが生きているうちにはそんなこと実現しそうにない(あるいは既に、秘密裏にそんな技術が存在しているのかも……と想像してみるのも面白いかもしれないが)。
もちろんそれに異を唱える哲学の一派があるのは承知の上で言うのだが、未来が不確かなものである一方で、過去とはどうしようもなく不変な存在である。
既に起こってしまったことは誰にも覆すことが出来ない。
ただ一つだけひとに出来ることがあるとするならば、それは自分の心の中でその出来事を解釈しなおすことだけだ。苦い思い出がいつの間にか笑い話に変わるように、苦しかった時代を振り返って考えると、今では良い思い出だと感じられるように。そんな風に過去との向き合い方を変えることだけだ。
今回ご紹介する、『消えない夏に僕らはいる』は、そんな過去との向き合い方をテーマにした、青春作品だ。
今作は、小学生の頃にとある事件に巻き込まれた五人組が、高校生になり再会したことで再び当時の事件を振り返させられる、といったストーリーである。五人それぞれの視点から物語が語られる、群像劇のような構成になっているのも特徴的だ。
あとがきによれば、今作は学園ミステリとして書かれたものらしい。確かに、小学生時代の事件に残された謎や、現在の学校で起こる事件を解決する、というミステリ的な進め方をされてはいるが、だがハッキリと言ってしまうと、この物語はは決してミステリではない。
謎を解く鍵がそもそも文章として明示されていなかったり、肝心の謎解きシーンがあっさりと終わってしまったりと、ミステリとしては不完全と言わざるを得ない。探偵役が物語にほとんど絡んでこないというのも珍しい。
だがわたしはそれで構わないと思う。なぜなら、今作がミステリよりも青春の方に重きを置いて書かれていることは明らかだからだ。
登場人物たちは良い意味でも悪い意味でも子供だ。大人ぶって達観したフリをしてみたり、身近な大人に憧れてみたり、あるいは後先を考えない行動で周りを引っ掻き回してみたり。そんな等身大の高校一年生のリアルが描かれている。
それが同じ出来事であっても、それぞれの立場や考え方によってそれぞれの瞳には全く違った姿で映る。群像劇の形をとることで、そういった違いを描写していることも面白い。
また、高校生にとって最も重要なものといえば人間関係だろう。今作では人間関係にまつわるいざこざが、物語内の重要なファクターとなっている。
クラス内での孤立と対立、スクールカースト、いじめ。友情や恋愛。そんな様々な問題を通じて、過去との向き合い方を描いたものが今作なのだ。
メイン主人公であり、物語の鍵を握る少女、響の成長と共に進む今作は、紛れのない青春小説だと言えるだろう。
ミステリを期待してこの本を手に取ることはお勧めできるものではないが、タイトルや表紙の雰囲気に惹かれた方の期待にはきっと沿うことができるのではないだろうか。