いつものTシャツとジーパンを着ると、今までとは何か違うものを着たような心地だった。
十九歳のあたしを、
さっきまで女の子と証明してくれていた制服を、足早に蹴散らすと、制服は軽く、フワフワとあたしを避けて舞った。
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新年のご挨拶。
あけましておめでとうございます。
今年も無理をしない程度に更新を続けていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。
前回の更新で宣言した通り、正月休みには積み本を消化しようと思っていたのだが、結局のところ大塚英志のストーリーメーカーを読んだだけに留まってしまった。
なんだかんだで忙しく、思うように読書をする時間が取れなかったことが原因なのだが、ではその期間になにをしていたかと言えば、主に知り合いと会っていた時間が多いだろう。
冷静に考えれば、社会人になってしまうと平時にはなかなか友人と休みを合わせることが難しく、こういった機会に飲み会や遊びに行く予定が増えてしまうのは必然ではあるのだが。
そんな流れもあって、今年の大晦日は古い友人と年越しを過ごしていた。
その際、彼とは真面目なことから馬鹿なことまで様々な話をしたのだが、その中でも最も印象に残っているのが、その友人が今年で30歳になる、という話題であった。
いつのまにやらわたしたちもそんな年齢になっていたのかということを改めて認識させられ、少しだけ切ない気分になったのだ。
その友人と初めて会ったのは彼がまだ20代前半だったころ。そのころのわたしはまだ10代、大学生のときの話である。
大学とはモラトリアムだと、そんなことをよく言われる。それが真実その言葉通りなのかはさておき、大学生活が社会に出るまでに残された、最後の猶予期間であることは確かであろう。
日本では満20歳から成人と呼ばれる。もちろん成人を迎えた途端に──ポケモンが進化でもするかの如く──劇的に自分自身が変化するわけではないだろうが、それでも一定の自由や責任を手に入れ、社会的には大人として扱われるようになるのが、この20歳という年齢だ。
大人であるとは何か。ひとによって解釈は様々であろうが、例えばそれは、自分を律し独り立ちすることであったり、あるいは自分自身が何者なのかをみつけた状態だと言える。
現役生であれば18歳から22歳までの4年間。それは、それまで子供だった自分が徐々に大人になっていく、その過渡期間なのだ。
そんな子供から大人への過渡期間を描いた漫画が、今回ご紹介する『ヒメゴト~十九歳の制服~』である。
今作は、三人の19歳が繰り広げる成長の物語だ。
彼女たちはそれぞれが、容易に人には言えない秘密、性癖をもっている。
男性的な服装や振る舞いが染み付いてしまった女の子・ヨシキ、自分が理想とする少女像に近づくために女装をする美少年・カイト、清楚なお嬢様のフリをして援助交際を続ける少女・未果子。
彼女たちの、その”ヒメゴト”を巡って揺れ動く心情や三人の関係性を描いたものが、この漫画なのだ。
わたしは、19歳というものはとても微妙な年齢なのだと思う。
作中の彼女たちは高校を卒業し、大学に入学したばかりである。
それは言うなれば、自由を手にし、少しずつ今まで出来なかった、大人と同じようなことができるようになっていく時期だ。
決して完全な大人では無いが、かといってもう子供だと胸を張って言えるわけでも無くなっている。そんな境界線の真っ只中に彼女たちは居る。
今作においてひとつのシンボルとして象徴的に使われるアイテムが『制服』だ。
彼女たちにとって制服とは、実に分かりやすく本来の自分、自らの望む自分を表象する記号である。
それは「女性としての自分」であり、「理想とする女性像の体現」であり、「永遠に失われない少女性」である。
彼女たちは人知れずそれらの制服を纏うことで、自己を保っている。
しかしそれとは同時に、制服とは言うまでも無く、子供でいることの象徴、現実に対する受け入れを拒否する未熟さの象徴でもある。
その意味で言えば、今作は、彼女たちが”制服を脱ぐ”物語なのだと言える。
なぜなら19歳の彼女たちにとって、幼さの象徴としての制服は、当然のこととして、もはや脱がなくてはならないものなのだから。
それはヨシキが女である自分自身を受け入れることであり、カイトが誰かの模倣を捨て自分自身へ成っていくことであり、未果子が自分自身の抱えたトラウマを自認し乗り越えようとすることである。
そうして制服を脱いでいくまでの過程を描いたものが今作なのだ。
ラストシーンの、成人式の振袖を選ぶシーンは必見である。
大ゴマを使って描写された未果子の服装やポーズ、表情に、この物語の伝えたかったテーマの全てが凝縮されている。それは幼かったこれまでの自分との決別であり、新しい世界を生きる決意でもある。
今作『ヒメゴト』は彼女たちが秘密を受け入れ(あるいは諦めて)、新たな自分自身、揺るがぬアイデンティティを獲得するための物語だ。
それは自分自身というものが未だ定まっていない時期。18歳でも20歳でもない、19歳という年齢だからこそ描けた彼女たちの姿なのだ。