先生の……
そういう……たまに優しいとこ……
ずるい……
いつもいつも余りにも真面目すぎることばかり書いているので、今回はふざけたことだけを書いてみたいと思う。
ひとが何かを好きだと思う気持ちに理由など必要ないと、わたしは常々思っている。
むしろなにかと理由を付けたがるのは、本当の意味での好きではないとすら考える。
それは、もしその好きだという理由が無くなってしまえば、すぐさまそれを好きではなくなってしまうということだからだ。
つまりひとが何かを好きだと感じるということは、偶然の結果なのだとわたしは思う。
何故かは分からない。理由をつけようとしてもただ好きなのだとしか言いようのないような、そんなものが誰にでもきっとひとつはあることだろう。
これらを踏まえたうえで、わたしはここに宣言したい。
わたしは眼鏡が好きである!!
わたしが好きになるキャラクターがことごとく眼鏡をかけているということに気付いたのはいつのことだったか、余りにも昔のことすぎてもはや忘れてしまった。
当時は単なる眼鏡っ娘好きだったわたしも立派に成長し、二次元を飛び出し三次元へ。それどころか今では眼鏡単体にすら萌えられるようになってしまった。
そんなわたしの中での眼鏡キャラクター四天王と言えば、桜木茉莉、読子・リードマン、秋月律子、ひまわりさんなのは周知の事実であろう。
眼鏡に特化した作家でいえば大朋めがねや日坂水柯を推したいところであるが、このたびわたしは、そこに加えても良いと思える作家に出会った。(いや、正確にいえば以前から知ってはいたのだが)
その作家とはTOBIである。
TOBIと言えば、眼鏡なカノジョで世の眼鏡っ娘ファンに大きな喜びを与えたことは余りにも有名であろう。
だがその次回作の屋上姫では反対にわれわれを落胆させることになった。眼鏡作家(そんな言葉は無いだろうが)だと思っていたのに、ヒロインが眼鏡っ娘ではなかったからだ。
しかしその最新作となる『お前ら全員めんどくさい』では、TOBIは再び素晴らしい眼鏡っ娘を描いてくれた。
それはあの日感じた落胆を払拭するには充分すぎるほどに。
今作は高校教師として働く主人公の元に、色々と”めんどくさい”女子生徒が集ってくるという内容になっている。
主人公は特に深い理由も無く、女子生徒たちから好意を寄せられ彼女たちに振り回される。キャラ萌えを前面に押し出したような、言ってしまえば単純なハーレムものだ。
だがだからこそ、キャラクターの魅力というものが、最も重視されるのも、このジャンルの特徴であろう。
そして、今作のメインヒロインとして描かれている少女は、眼鏡っ娘なのである(ここ重要)。
眼鏡はときに、内向的な性格の象徴として使われる。今作のヒロインである一宮数美も、例に漏れずそのようなキャラクタ付けをされている。無口で他人と交流しようとせず、結果として友達が居ない。
だが彼女はただそれだけのキャラクタではない。無口な分だけ内面には熱い想いを抱えている。そして時折、感情の爆発が起きたかのように、突飛な行動をとる。そんなある意味でミステリアスな掴みどころの無い性格。
彼女の魅力はその内面性にこそある。
要するに、簡単にいえば、わたしは彼女の魅力にやられてしまったのだ。
さらに1巻のラストシーンでは、新たにもう一人の眼鏡っ娘が登場してきた。
未だ名前も明かされていない彼女が、今後物語にどう絡んでくるのか、次巻からも目が離せそうにない。
余談だが、創世記によれば、イブが知恵の実を口にしたとき、始めに感じたのは裸でいることへの羞恥だったという。
知的生命として生きるわれわれと、野生動物との違いは服を着ているかどうかなのだろう。
だからこそわたしは言いたいのだ。
裸眼でいることを恥じるべきであると。ひとは眼鏡を掛けたとき、初めて知的な存在としていきることができるのだと。
昨今、眼鏡が優等生のシンボルとして多用されているのも、もしかしたらそれが理由なのかもしれない。