「私は何度も16歳を繰り返してる」
たくさんの人が出逢い、物語が生まれる街・渋谷。
なんちゃって女子高生、ストーカー、イメクラ嬢――
この街に集う彼女たちが織り成す、連作オムニバスストーリー
“まんがの作り方”で知られる平尾アウリさん。
代表作である同作は、漫画的な盛り上がりにいまいち欠けるところがどうしても受け入れられず途中でギブアップしましたが、はてさて今作はどうなのでしょうか。
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平坦というリアル
さて、今作も大きな盛り上がりはありませんでした。
はじめに言っておきます。決して悪口ではないです。
扱う題材や話の筋書きも、”FEEL YOUNG層”の読みたいものを確実に捉えています。
各話の内容を思い返しても、決定的に破綻していただとか、現実味がないだとか、そういう部分も見当たらず、すんなり入ってきます。
ただ、すんなり入ってきすぎて記憶に強く残るシーンがない…
この原因はきっと、登場人物の感情の起伏が乏しく見えたり、大きなコマを使った動きが少なかったりという、漫画にありがちな過剰ともとれる演出が少ないからではないかというのが私の考えです。
他の短編集などを読んでも同様の物足りなさを感じたので、これはもはや平尾アウリさんの作風なのでしょう。
しかし、このテーマは平尾アウリさんの作風が絶妙にマッチしています。
“渋谷にいる若者”という単語で反射的に思い浮かぶのは、”無気力”や”先の見えない感じ”というネガティブな単語。俗にいう”最近の若者”という言葉を端的に表している印象を受けます。
日中に町中にいる若者たちがテレビで取り上げられたりもしますね。
今作は女子高生はもちろん、更に年齢層を上げた大人の女性をメインにした話ありますが、”渋谷”という舞台に合わせて、彼女たちは”最近の若者”としてうまく記号化されています。
自分が声を荒げ、感情をあらわにしたところで、問題が根本的に解決するわけでは決してなく、人生が劇的に変化するわけでもない。
しかし、そのなかで何とか折り合いを付けてポジティブに、しかし淡々と日々を過ごしている。
そういった夢も希望もない(と大人たちに言われている)最近の若者たちの”後ろ向きなポジティブさ”が、平尾アウリさんの描く人物を通して、的確に表現されています。
印象に残るようなシーンはひとつもなくとも、なんとなくポジティブな気持ちになれる漫画。
うまく言葉にできないモヤモヤとした悩みを持っている方は、晴れやかな気持ちになれるのではないでしょうか。
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補足(なぜ私は”まんがの作り方”を受け入れられなかったのか)
先にも述べた”まんがの作り方”は、百合漫画というピックアップをされたこともあり、どうしても恋愛主体の描き方(ともすれば少女漫画的な)を心のどこかで期待していた部分があったのでしょう。
そのために、他の百合漫画や少女漫画のような過剰な心理描写や演出が一切なかったことにネガティブな物足りなさを感じたのたのだと思います。