去年読んだ漫画のなかで一番記憶に残っている漫画です。
12月に発売されたということを考慮しても、去年読んできた全ての漫画を塗り替えるほどの衝撃でした。
シギサワカヤさんの漫画は「箱舟の行方」から始まって、単行本になっているものは殆ど読んでいると思います。
どの作品も、シギサワカヤさん独特の題材や男女の関係などに心揺さぶられてきたのですが、
そのなかでも記憶に残っている、兄妹の恋愛を主題にした作品「九月病」を読んだ際に受けた衝撃と同等か、それ以上の気持ちになりました。
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闘病系漫画
ネタバレをしたくないので、細かい描写は省きますが、一言でこの漫画を説明すると”難病の主人公が強く生きていこうとする話”になるのだと思います。
以下のあらすじを読んでいただければ、だいたい想像がつくと思います。
心臓疾患のため生まれてすぐに余命二十年と宣告を受けた育(いく)。
無気力なままに地方の女子校に赴任してきた正嗣(まさつぐ)。
優等生である自分を好きになれない万喜(まき)。
上手くいかないこともあるけれど、柔らかな幸せを感じるそれぞれの日々。
「明日を今日にする」のは、こんなにも大切なことで
「当たり前の毎日」は、奇跡が積み重なったものなんだーー…。
これだけだと、一昔前に流行った恋愛系の映画を思い出しますね。
ヒロインが治らない病気だったり、記憶が続かなかったり、なんやらかんやら。
そのような映画を率先して見るような方々を、スイーツ()と称し、小馬鹿にする方も多いと思います。
大きな声では言えないですが、私もどちらかといえばそのタイプです。
お涙頂戴の映画に何の意味がある!!とか思ってしまうタイプです。
しかし、この漫画を読み終わったあとは号泣でした。
なんというスイーツ()
さておき、この漫画は私にとって、それくらい衝撃的でした。
悔しかったので、”感動系映画をあまり好まない私が泣いてしまったのか(=なぜこの漫画で泣いたのか)”
を考えようと思います。興味のある方はお付き合いください。
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物語を俯瞰する
この漫画は群像劇の形式をとっています。
基本的な登場人物は大きく変わらないものの、
主役が代わり、登場人物が代わり、時代も変わります。
病気について触れる回もあれば、全く触れない回、それどころか育が登場しない回も多々あります。
この全体に対する俯瞰が、登場人物の人間臭さや、それぞれの生活があることを強調し、病気であることが全てではないことを強調しているように思います。
そして、これは作品における恋愛という側面でも同様な捉え方を促している気がします。
育の昔ながらの友人である”万喜”との恋愛について、合計すると作品全体の3分の1以上は触れられています。
こちらの恋愛もとても面白いのは間違いないですが、本題から外れているのは間違いないです。
しかし、万喜の恋愛を多分に取り入れることで、”死別を前提とした育と正嗣の結婚生活”も、
大局的にみると、ひとつの恋愛の形でしかないのかもしれない…
という気持ちにさせられます。
幕真の日常風景
この作品の素敵なところは良い意味で”持ち上げて落とす”ということなのではないかと思います。
まず、難病を患っている育がポジティブです。
当たり前に夫をからかい、夫を除け者にして友人と盛り上がり、なんならとても寒いギャグまで入ります。
また、育の夫をはじめとする他の登場人物たちも当たり前のように、笑いあり・涙ありの日常生活を営んでいます。
“いつ死んでもおかしくない難病”を悲壮感なく、読みやすくしているしているのではないでしょうか。
そして最後の衝撃
さんざん朗らかな空気を見せつけられたぶん、最終話の不穏な空気と、最後の数ページでは、
地面に叩きつけられた心地がしました。
“こーんなところで死んでたまるかっつーの…!!”
というボロボロになりながらも生きようとする強い気持ちに、なんとも言えない切ない気持ちになりました。
冒頭で述べたような、難病格闘系の映画というのは
- 感動的な最後を遂げる。
- 奇跡的に助かる。
- いままでありがとう。
的な終わり方が多かったと思います。
早い話が、”あなたを好きになってよかった…”的な恋愛要素を主題として、
生死については、それのスパイス程度という捉え方が強かった気がするのですね。
一方で、この漫画は「生きること」の方に重きを置いている気がしました。
“今日も生きられて、明日も生きられるということ”
恋愛は、比重は大きい物のその一要因に過ぎないという扱い方を強く感じました。
だからこそ、上述した日常風景や何気ない会話にページ数を割き、病気に関する重々しい会話を極力削っているのではないかと。
この”日々を生きていけること”を主題においているという部分が。
毎日を怠惰に生きている自分にはとても辛い内容で、だからこそ胸に響いたのでしょう。
「またあした」と言える意味を噛み締めつつ、
これからはしっかりと生きていこうという気持ちになりました。