清々と 1 (ヤングキングコミックス)

清々しき青春の日々 / 清々と 谷川史子

“先生、先生のそろばんの先生みたいに、私も先生におまじないをかけます。
先生が、いつも元気でありますように。
お天気の朝も、風の日も、雨の夜も、
いつもどこにいても、先生の幸福を祈っています。”

早いもので、いつの間にかもう五月が終わろうとしている。
この四月から新しい環境に身を置くことになった方も多いかと思うが、そろそろ新生活にも慣れてきたころでは無いかと思う。
しかしながらこの時期は五月病の言葉に象徴されるように、それまで持っていた初々しさや新鮮な意欲を失ってしまったり、なんとなく気分が落ち込む時期でもある。

かくいうわたしも(今年の一月からではあるが)これまでの仕事を辞め、新しい目標のためにひたすら机に向かっている最中である。

そういった事情もあってか、最近は夜眠ると勉強をしている夢をよく見るようになった。夢とは面白いもので、そうした夢たちはシチュエーションは様々だが、不思議なことに決まって時代は高校生の頃なのである。

では高校生のわたしが、どれほど勉学に勤しんでいたのかというと、残念ながら全く勉強などしなかった。毎日のように遅刻をしていたし、まともに授業を受けたことも数えるほどだろう。大学受験が目前に迫っていても、真面目に受験勉強をした記憶も無い。

恐らくわたしは後悔しているのだろう。学生時代、一生懸命にならなかったことを。心から打ち込めるものを見つけることができなかったことを。

もしかしたらわたしがフィクションの中でも特に青春ものを好むのも、そういった理由があるのかもしれない。

そんな、これぞ青春と呼ぶにふさわしい漫画を先日読んだ。谷川史子の『清々と』である。

今作の舞台は地元では有名な中高一貫のお嬢様学校。そこに高校一年生から中途入学することになった女の子、清(さや)を主人公に、彼女の三年間を描いたものとなっている。

恋愛や友情、進路に悩みながら、少しずつ成長する彼女たちの姿は、まさしく青春そのものだ。

谷川史子といえば少女漫画をメインに長年活動を続けているベテラン作家だが、その作品はほとんどが短編集か、あるいは舞台設定をゆるく共有した形の連作短編が多い。しかしこの作品は珍しく、一人の主人公に焦点を当てた長編作品となっている。

女学校を舞台にした物語といえばフィクションではごくありふれたテーマだといえる。この漫画も例に漏れず、どこまでも王道な作品である。しかしそのありふれたテーマにあっても、決して色あせることの無い個性が谷川史子にはある。

活動歴のわりに作品数は少ないが、それでもベテラン作家のベテラン作家たる所以を感じることができる。それはつまり、王道を王道として描く巧みさである。

よい物語には、好感の持てるキャラクタが必須であろう。谷川史子の作品は、その点においては絶対に外さない。そしてそれが、谷川作品の一番の魅力でもある。

谷川作品のキャラクタたちはみな、爽やかで素直だ。何事にも一生懸命、ひたむきに精一杯頑張る。そうしたキャラクタたちの姿に読者は好感を抱き、自ずと感情移入する。

谷川史子の描く繊細で丁寧な心理描写のおかげもあって、まるで自分のことのように、彼女たちの一喜一憂する様に心動かされるのだ。

そのタイトル通り、この作品は、清々しさに満ち満ちている。それはもちろん登場人物もそうだし、それだけではなく、その物語自体も同様である。

今作は高校三年間を描いた作品であり、教師に抱いた恋心を描いた青春作品である。そうしたテーマを選んだ時点で、この物語には逃れられない切なさが付きまとう。

そうした切なさを、清々しく昇華させた作者の表現力にはただただ脱帽するより他にない。

『清々と』は、これまで連作短編がメインだった作者の新境地である。
全4巻と短くはあるが、そこには短編には無い長編ならではの魅力がある。

丁寧な描写によって登場人物たちに感情移入させてくれるからこそ、この物語を読む者は、まるで登場人物たちと一緒に学生生活を歩んできたような、そんな気持ちを感じることができる。

だからこそ、ラストシーンではつい瞳に涙が浮かぶことだろう。それまで過ごしてきた日々を思い、切ない別れと新たなる旅立ちに、確かな感動を覚えるのだ。

この漫画は、文句無く誰もに勧められる感動作である。

わたしはこの作品を、少女漫画を読みなれている方だけではなく、むしろこれまで少女漫画を敬遠していた方にこそ読んでもらいたいと思う。

きっと、今作を読めば、清々しい青春の日々を追体験することができるはずだ。

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人が物語を読むのは、人生が一度しかないことへの反逆だ。 そんな言葉を言い訳にして、積み本が増えていく毎日。 Twitter:pooohlzwg