駅への近道、公園の中を歩き始めたあたりから、
自分が今悲しんでいるということに気付いた。──それでも、
友人のあの言葉はあの時代の友人の真実だった。
俺のあの気持ちはあの時代の俺の真実だった。
切なさの欠片とでも呼ぶようなものが、この世にはあるのだと思う。
小学生の頃。友達と二人、自転車を漕いで、数キロ離れた場所にある大型ショッピングモールに出かけて行ったことがあった。今では簡単に行けてしまう距離だとしても、当時のわたしたちにとってそれは間違いなく大冒険だった。
中学生のとき。男女4人でダブルデートをした。地元で有名な夏祭りに行ったのだ。いつの間にか2人ずつの別行動になっていて、わたしのファーストキスはそのときだった。人気のない小さな公園のベンチでのことだ。
唐突にそんなことを思い出してしまったのは、町田洋の夜とコンクリートを読んだからだ。この作者の漫画には独特の空気感があって、そこにはある種の匂いがつきまとう。
そんな匂いのことを、わたしはセンチメントの匂いと呼んでいる。
懐かしい想い出はいつも匂いの記憶とともにあって、それは例えば草木の匂いであったり、夕立の匂い、汗と排気ガスが混じったような匂いであったりする。
センチメントの匂いを感じるたびに、青春時代の記憶がふっと蘇ってくる。そうしてそれらはいつも、寂しさや切なさと同時にやってくるのだ。
仲間の部屋で夜通し飲みあかし、フッと気が付いてみると自分以外が全員眠ってしまっていたときの静寂。
忍び足で部屋を抜け出した瞬間の、アルコールと食べ物と汗の匂いを振り切るようなあの感触や、夜が明ける直前の白みかけた町並みを眺めたとき。
そんなことを思い出させてくれるこの漫画は、ある意味でタイムマシンのようなものだろう。
ちなみに、わたしが今まで読んできた漫画のなかでも匂いを想起させるものは非常に少ないが、それ故に、それらは例外なく名作である。