できたらいつか、
「物語」に救われてきたこの気持ちを、体言したい。
先日部屋の掃除をしていると、学生時代にずっと使っていた筆箱が出てきた。
引っ越したときに実家においてきたものだとばかり思っていたのに、どうやら気付かないうちに梱包していたらしい。
数年ぶりに筆箱を開けてみると、まずは黒鉛の匂いが鼻につく。
それはどこか懐かしく、心に染み入るような匂いだ。今にして思えば、教室にはこの匂いが充満していた。まるで、青春の匂いだ。
パソコンが普及した現代、自分の手で、鉛筆やペンを使って文字を書くという機会は非常に少なくなった。こうしてわたしが今書いているブログ記事も、もちろんパソコンのテキストファイルに書き付けているものだ。
手書きで何かを書くとなると、恐らく年賀状くらいしか無いのではないだろうか。
小学生の頃仲が良かった女の子が居た。
今では淡い恋心だったと分かるのだが、当時はただ一緒に日々をすごしていた彼女とは、しかし小学6年生のとき以来会っていない。
彼女は小学校を卒業したと同時に遠くへと引っ越してしまったからだ。
中学生となって数ヶ月が過ぎたある日のことだった。自宅に一通の便箋が届いた。
それは彼女からの手紙だった。懐かしい思い出を綴った文面と共に、そこには最後に彼女と撮った写真が同封されていた。
そうしてわたしはその便箋を机の奥に大切に仕舞い込んだ。もちろん何度も読み返しはしたが、結局返信はしなかった。
自分の下手くそな字を見られることが恥ずかしいという気持ちもあっただろうが、それ以上に、自分の想いを上手く文字に起こすことができなかったからなのだと思う。
あのとき使った色ペンが、未だに筆箱の中に入っているのをみて、不意にそんなことを思い出したのだ。
河内遥の文房具ワルツという漫画は、そんな文房具をテーマにした短編集である。
河内遥と言えばアニメ化もされた夏雪ランデブーが有名だが、今作も負けず劣らず、心を揺らす内容となっている。
夢と現実のギャップにあえぐナズナ。ナズナに想いを寄せる八神。漫画家としてなかず飛ばずのハタノ。そんな若者たちの人生を文房具の視点(!?)から描いた作品となっている。
それはラブレターを書くためのシャープペンシルと消しゴムであったり、漫画を描くペン先であったり。そんな文房具たちは、いつもひっそりと私たちの傍にある。
身近なものすぎて、ひとはそれに気付かない。
だがひとが自分の想いを伝えたいと願い、また何かを表現したいと願うとき、そこには文房具の存在が常にある。
何気ない日常の中に、誰にも意識されずとも。
万年筆が時を越えて、人から人へと渡っていくように、わたしたちの生活の中に、いつまでも文房具は寄り添い続ける。